肩をポンと叩かれて、薄っすらと目が覚める。
最初は、自分がどこに居てどういう状況に置かれているのか、今が何日の何時なのかもわからなかった。
なぜ自分は、膝など抱えて寝ているのだろう?
ほんやりとする頭をあげる先で、大きな瞳が覗き込んでいる。
「何やってるの? こんなところで」
年上であることはわかった。
身を屈めて両手を膝に乗せ、不思議そうに自分を見下ろしている。
「風邪ひくわよ」
言われてハッと膝を崩した。ヨロけながらも立ち上がる。
そんな美鶴に怪訝そうな視線を向けながらも、女性は手にした鍵を、鍵穴へ突っ込んだ。
え?
だが女性は、そんな美鶴の視線に気づくことなくガラガラと扉を開ける。
「へぇ」
小さく感嘆の声をあげ、一歩中へ入る。そうしてグルリと視線を巡らし、駅舎の中を一通り見てから、こちらへ振り返った。
「入るの?」
「あっ」
言われて戸惑いながら、視線を女性の手元へ落とす。
なぜこの女性は、駅舎の鍵を持っているのだろう?
誰なのだろうか?
その視線に、女性も己の手を見つめた。
「ひょっとして、開けに来るのを待ってたの?」
「えっと……」
そうではない。木崎が…… 開錠に来るはずの木崎が来る前に、この場を去るつもりであった。
いつの間にか、眠っていた。
何も答えずただ狼狽える相手。女性は少し眉を潜めて訝しんだが、詮索はせずに促した。
「どうぞ」
そう言って、自分は駅舎の外へ出る。
「入りたかったんでしょ?」
勝手に解釈して、一歩駅舎から離れた。
「私は鍵を開けに来ただけだから、これで帰るわね」
じゃあ と片手をあげ、背を向ける。
長い髪を後ろで縛り、それを持ち上げて後頭部にバレッタで留めていた。
黒い、襟元にフリルのついた上品なブラウス。白い項が映える。
そのまま立ち去ろうとする女性から視線を外し、中へ入ろうとした。そこへ、背後から突然の声。
「あのさっ」
少し押さえ気味にかけられた声は、だが今の美鶴には十分過ぎるほどの大声だ。
びっくりして振り返る先。女性が右手を差し出している。
「これ」
握られているのは、紺色の…… たぶんハンカチ。
「泣きたい時は、泣いた方がいいよ」
ハンカチを無理やり美鶴に握らせ、少し笑って女性は背を向けた。そうして今度はもう振り返ることも戻ってくることもせず、公園の向こうへと姿を消した。
泣きたい時には―――
思わず右手を右頬に当てた。
泣いて――― いたのだろうか?
寝ながら自分は、泣いていたのだろうか?
だが、手鏡などといった洒落たモノはもっていない。駅舎に鏡などがかけてあるはずもなく、自分が今どんな顔をしているのかもわからない。
手に握らされた、紺色のハンカチ。
感触が柔らかく、だが少し硬い。
洗い疲れたような、くたびれた雰囲気でもない。それほど使い込まれたものでもないのだろうが、端が少し、解れている。
100円ショップなどで売られているような安物でもありそうで、手作りを売りにしている高級和物とも思える。
寝ている間に泣いていたとしても、今は頬を流れる涙はない。どうすればよいのか戸惑い、結局はジャージのポケットに突っ込んだ。そうして、駅舎の中へと足を踏み入れた。
とても、懐かしく思えた。
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